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命名言霊学協会

日本語でひもとく「愛」その1~キリスト教の愛と仏教の愛~

「愛するってどういう意味」
日本語でひもとく「愛」その1
キリスト教の愛と仏教の愛
 
 
「自分探し」「自分磨き」が流行っていた頃に
よく耳にした言葉が次です。
 
「自分を愛する」 
 
この言葉は納得するし、そうだろうと思いますが
あとでよくよく考えてみると
「自分を愛する」ということがあまり抽象的すぎて
何か、わかったような、わかっていないような感覚に
なってしまうのです。
 
「なぜ自分を愛すること」が曖昧になるのか?
そのことについて書いてみます。
 
「愛」という言葉は今、世間にあふれています。
歌詞、小説、あらゆる表現で使われます。
人気のある名前として「愛」があります。
1983年(昭和58年)から8年連続で女の子の
名前ベスト1位だったくらい人気がありました。
 
問題は「愛」という言葉が日本語としてまだ
生活の根付いていないことが問題だったのです。
私たち日本人の精神の深みに根付いていないのです。
 
「自分を愛する」
 
この「愛」は英語の「LOVE」を表しています。
そしてこの「LOVE」は明治になってキリスト教が
解禁されてから入ってきた言葉なのです。
歴史がまだ150年しか経っていません。
明治の文豪はこの「愛」という言葉と葛藤した
わけです。
 
「I love you 」をどのように訳するか
夏目漱石や二葉亭四迷ははとても悩みました。
 
二葉亭四迷は「死んでもいい」と訳し
夏目漱石は「月がきれいだ」などと訳したら
などと笑い話みたいなエピソードがあります。
 
キリスト教の「愛」の概念が日本になかったのですね。
そしてこの「愛」という言葉をポジティブな感覚に
するために100年あまりの歳月が必要だったのです。
 
キリスト教の愛は実は二つあります。
 
「エロスの愛」
「アガペーの愛」
 
エロスの愛は主に男女間で使われています。
性愛が含まれる愛ですね。
アガベーは親の子供に対する愛、
神様の人類に対する愛として
性愛は思いはありません。
 
この「愛」という言葉はまだ
日本の文化の中に根付いていないのです。
だから、言葉にしてももう一歩
しっくりきません。
 
それと「LOVE」を日本語に訳した
「愛」という言葉は
江戸時代にも実はありました。
ただこの「愛」が仏教的な要素があり、
そしてとてもネガティブだったのです。
 
「愛」とは「愛欲」「情欲」など「色」や
「情」と同じ意味合いだったからです。
 
自分の中で燃えたぎるどうしようもない愛欲、
情欲の思いが「愛」だったからです。
現代人が表現する「愛」とは全く違った
感覚だったのです。
 
その愛欲の炎を押さえるのが
愛染明王(あいぜんみょうおう)という
仏様でした。
 
自分の思いを満たすために、
周りがどうなっていいという
思いが「愛」だったのです。
 
キリスト教の愛とは全く正反対でした。
このネガティブな感情をポジティブに変換する
ために100年の歳月がかかりました。
そしてそれはまだ日本人の精神に根付いていません。
 
だから自己啓発セミナーで
「自分を愛する」という言葉を受け取っても
頭では理解できますが、腑に落ちてないのです。
 
「自分を愛する」その真意が
やまとことばまで遡ることで
始めて理解できるようになったのです。
 
続きは明日書いてみます。

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