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【白菊 ~伝説の花火師~】稲葉優子

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ほぼ(?) 17日を目安に投稿させて頂いています(^^;
神奈川県のことだま師・ひめ結師の稲葉優子です。

8月もあと10日ですが、毎日本当に暑いですね~💦

のどが渇く前に水分を取って、お身体ご自愛ください。

お盆休みは義実家・実家のある愛知で過ごし、
愛知を拠点に、あちらこちら行ってみたかった神社などもまわって来ました。

“出身地”って、特に意識していなくても

やっぱり なにかしらエネルギーや気づきを
無償で与えてくれていますね。

あとになってから感じます。

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さて、夏を代表するもののひとつに
夜空に咲く大輪の花、花火がありますね。

今年はご覧になられましたか??

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知らなかったのですが、丸く球体に開く花火は 日本の花火の特徴で
海外の花火は玉ではなく円筒状で上げられるので、花火が球体には開かないそうです。

海外はカラフルな色の火薬を一種類で使い、日本は花火玉の中に、星といわれる小さな火薬の玉を並べて色を変化させます。

日本の花火の技は世界に誇れるもの。

きれいな球状も、繊細な色の変化も
日本人の感覚が成せる技だそうです。

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海外の花火は戴冠式などの祝い事中心ですが

日本の花火は鎮魂、先祖供養、奉納の意味もあり、
この時期のお盆の「送り火」とも繋がっているそうです。

日本の花火大会の始まりは
徳川8代将軍吉宗が、享保17年の大飢饉での多くの死者の慰霊と、
悪疫退散のために開催した 隅田川の「水神祭」で花火をあげた事と言われています。

 

昨年、“一生に一度は見たい花火”といわれる
日本三大花火のひとつ  新潟の「長岡まつり大花火大会」に行く事が出来まして、
とてもとても とても、 胸に来るものを感じました。

復興祈願花火フェニックスや天地人、正三尺玉など、
花火のスケールが素晴らしいのはもちろんですが

なぜだろう??なんだろう??この感覚は・・と、

終わってから色々検索してみて  その意味が分かってきました。

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長岡の花火大会は、
手向けの花火。鎮魂の花火です。

確かにそうHPなどにも書いてありましたが
実際にその場に行ったことで感じました。

 

長岡の花火大会が土曜 日曜 関係なく、
毎年決まった8月2日と3日に行われるのにはワケがあり、

前夜祭にあたる、その前日の8月1日は長岡空襲があった日です。

終戦間際の昭和20年8月1日

1時間40分に渡り B29 125機の襲撃を受け、市街地の8割が焼失し1488人の命が失われました。

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8月1日は 空襲と同じ時間の夜10時30分

お仏壇に手向ける白い菊の花のような
3発の真っ白い花火『白菊』が、ゆっくりとあげられるそうです。

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『白菊』3発は、
翌日からの2日間の花火大会のプログラムの冒頭にもあげられます。

鎮魂と、復興してくださった先人への感謝、恒久平和の祈りを込めて。

日本一の大河、信濃川で行われる日本一の花火大会は、ただのお祭りではない
8月1日~3日の3日間は、長岡の人にとって特別な日なのです。
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その『白菊』という花火は、伝説の花火師といわれる、長岡の 喜瀬誠次(かせ せいじ)さんによって作られました。

1990年、ご自身が抑留されていたシベリアで亡くなられたみなさんのために、
手向けの花火としてあげられたものです。

その後の2003年から、長岡で『白菊』を上げるようになったそうです。
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『白菊』はその後、ハワイの真珠湾でも上げられます。(真珠湾攻撃の山本五十六さんは長岡出身)

 

ドキュメンタリー映画「長岡大花火 打ち上げ、開始でございます」から画像お借りしました。

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長岡の花火大会を日本一といわれる花火大会に育てた喜瀬誠次(かせ せいじ)さんは、
昨年の12月に101才で亡くなられました。

嘉瀬誠次さんについてはコチラ

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花火師だった嘉瀬さんは昭和18年に出兵し、終戦後3年間シベリアに抑留されていました。

何とか生き延びて長岡に戻ることが出来ましたが

シベリアから日本に帰れなかった仲間の事がずっとこころにあり、

仲間に手向けたい。
現地で助けてくれた人へお礼がしたい。
(ご自分も貧しいのに、おばあさんが黒パンをくださったそう)


その気持ちが

アムール川の上空に『白菊』をあげることを叶えます。

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嘉瀬さんのことをもっと知りたくなって読んだ

白菊-shiragiku-: 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花

という本に色々とその時の事も書かれています。

著者の山崎まゆみさんも長岡のご出身です。

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本を読んでいて、愛知出身で子供の頃は名古屋に住んでいた私。
目に留まった事がありました。

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1989年、名古屋市制100周年の事業「世界デザイン博覧会」が開催されていました。
(行ってないけど覚えてる!メイン会場は熱田神宮近くの白鳥)

同時期に「世界デザイン会議ICSⅠⅮ 89名古屋」も行われていて、その中の

日本の伝統工芸の第一人者が集まり、伝統や文化を『継ぐ』というテーマでトークセッションするコーナーに

すでにロサンゼルスオリンピック閉会式や自由の女神100周年など
海外から依頼されて花火をあげていた喜瀬さんも出られました。

司会の女性に (嘉瀬さんの記憶では多分外国人)

「喜瀬さんは世界各国で花火を上げて来られましたが、次はどこで上げたいですか?」と質問され

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しばらく黙り込んだあと、(会場にも静寂が広がったそう)

「シベリア、アムール川で花火を上げたい。おらは、戦後、シベリアに抑留されてたんです。
おらは生きて帰って来られたけど、帰って来られなかった仲間のために、鎮魂の花火を上げたいと思います。」

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世界デザイン会議でそんな話をしていた花火師さんがいる・・と、NHK新潟のお二人の耳に入り
(新潟市とハバロフスク市は友好関係が結ばれていたそうです)、

その発言の場にはいらっしゃらなかったそうですが、
世界デザイン会議実行委員の、名古屋の企画会社の大井純さんの耳に入り (なぜかとても気になったそう)

大井さんのご尽力でトヨタ自動車がスポンサー承諾をしてくださり、
大井さんは現地の花火大会を企画実施をされ、NHK新潟が中継をする事に。

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人の輪が動いて繋がって、ソ連のハバロフスクのアムール川で
3000発の花火大会が行われ、クライマックスに『白菊』が上がりました。

ハバロフスクのみなさんは、日本の花火の素晴らしさに感動されたそうです。

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「どこで上げたいですか?」と聞いてくれた名古屋の土地が、

嘉瀬さんをシベリアまで繋いでくださったんだ~~と、嬉しく思いました。
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喜瀬誠次(かせ せいじ)さん

お名前の音に、命・祈り、鎮魂 に関わるお役目をお持ち。

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『白菊』の本を書かれた山崎まゆみさんも

長岡花火の声、「打ち上げ、開始でございます。」と
長年会場アナウンスをされている小林真弓さんも

(おふたり、同じ まゆみさん)

物事の本質に関わり、人と人のこころを結ぶお役目の音をお持ちですね。

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嘉瀬さんはおっしゃっています。

「火ってのはね。人間を鼓舞します。火を使えるのは人間だけらからさ。
火が上がる花火ってのは、人を元気づけるんじゃねえかなぁ。
おら、花火師として、ずっとそう思ってきたがら。」

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長岡の花火の作品も作られている

放浪の画家の山下清さんはおっしゃっています。

『 みんなが  爆弾なんかつくらないで
きれいな花火ばかりつくっていたら
きっと戦争なんて起きなかったんだな。 』

 

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私も行きました8月2日の長岡花火のアーカイブはこちら。^^

白菊、天地人花火、復興祈願フェニックス(能登応援バージョン)、正三尺玉など

 

 

 

 

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