名前のことだま®を学ぶ人・実践する人を育成し、世界に向けて「和の精神」を広げる
命名言霊学協会

ことだまを学んでよかったことあれこれ(生田諭子)

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大阪のことだま師 生田 諭子です。

今月のテーマ「名前のことだま®を学んでよかったこと」ですが、私にとってはすべて、このことだま師リレーブログでも毎回書かせていただいていることにつながっています。

ことだまの50音を学んで以来、50の引き出しのある整理箱を手渡され、自分の関心を引くあらゆる言葉や物を、せっせと分類してはその引き出しに詰め込んできたような感じです。

人の名前だけでなく、気になるものは物や事柄にかかわらず名前のことだま®の意味をあてはめて、考えてみるというくせづけのようなもので、初めの頃は早く意味を覚えたいのと遊びの感覚でやり始めたと思います。

ひとつひとつの引き出しは、名前という括り(くく)りで、アイウエオ毎に並んでいるわけですから、例えば「あ」なら「あ」のことだまの意味を通じて、その大元の共通項がいろいろ浮かび上がってきます。これがことだまのエッセンスだと思います。

また問題が起こっても、余裕を失わずに対処しようとすることや、一度俯瞰的に見てみたり、物事の裏(全く逆)を感じてみたり、と何となく整理しながら考えるような訓練になってきたのではないかと思います。

また今は、文字を持たない古代から歌という形で言葉を紡ぎ、歌うということで伝えられてきた「万葉集」を、ことだま的(?笑)にひも解くことにやりがいを感じています。

ことだま師として、長年鑑定にかかわってきましたが、名前の意味をお話した時に、「そんな意味があったんだ」と驚かれたり、腑に落ちるというか「やっぱり」という安堵感と嬉しそうにされる様子や、もう名前のことだまそのものの生き方をされてきたことを確認されるような年配の方との出会いなど、さまざまな反応をいただくことによって、こちらにもいつも安心感や満足感をもらってきたことを感じます。

名前についてなど、深く考えてみたこともないというのが普通の方だと思いますが、ひとたび意味が受け入れられると、やはりことだまという形で命が新たに吹き込まれる体験になるのではないでしょうか。私の場合がそうだったように。

昨今のニュースを見ていても、心や身体も自分自身で気遣い大切にしなければ、故障したり、衰えたりしてしまいます。すべて自己責任という自覚も他人事ではありません。

名前を通じて、かけがえのない自分自身と常に会話し、寄り添うことが、自分を愛するということなのだといつも教えられている気がします。

 

 

 

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