今月のお題「私の好きなことだま」について書かせていただこうと思います。
鑑定などを通じて人に作用していることだまも素晴らしいのですが、私は言葉そのものの面白さとしてことだまというものを受け止めることも多いです。
言葉というものは、ほんとうにうまくできているものだなぁといつも感じさせられ、興味が尽きません。
名前のことだま®の中でも、特に「ま」のことだまを学んでから、自分なりの気づきも増えてゆき、日本語を大切にしたいという気持ちが強くなりました。
「ま」は真善美を追求し、しっかりした価値判断を持って判断したり、認めたりすることで人を力づける役割を持ちますが
「真」と「魔」
「まっすぐ」と「曲がる」「迷う」
というふうに全く逆の意味を表す裏のことだまがそれぞれにあてはまります。
他にも
「ひ」には「火」と「冷やす」
「わ」には「和」と「分かれる」 などなど。。
こじつけ?とも言われそうですが
注意してみると 同じ音から始まる言葉でもこういう表裏両面の意味がたくさんあります。
名前のことだま®の鑑定で名前の意味に当てはめてみる場合にも
単に裏表の意味は良い悪いで判断するのではなく、その両方を見ることで、本来の意味の奥深さを見てゆくことや、余裕をなくしたり落ち込んだ時のブレや揺れをうまく捉え対処する方法を探っていくことができると考えてゆくのです。
さて「ま」の話に戻りますが
ここで「間」も「ま」と発音するので
両極端の「真(真実)」と「魔」の意味に加えて
そのあいだの「間」という意味もあるということですね。
神聖な場所である神社には(真)
邪悪なものも(魔)
集まりやすいとよく言われます。
また、日光東照宮の逆柱(さかばしら)にあるように、完成と同時に
崩壊が始まるという伝承からわざと柱を一本逆に建てることで未完成を表し
魔除けの意味を持たせているそうです。
完成といえば完璧
これを象徴しているのは
「満月」(欠けたるものなし)ですから
満月の満も「ま」の考え方ができます。
私たちは古来から
月の満ち欠けという循環の中に生かされているということを意識してきました。
満ち欠けをつないでいるすべての段階、状態が「間」にあたるということですね。
シロからクロの間には微妙なグラデーションのグレーがいっぱい存在するという感じでしょう。
また、「間違い」「間に合う」「間が悪い」
などと使われますが、こういう時の「間」は時間を指したり
存在を表す状況など、場(空間)も指しています。
巡り、移ろいなど
流動的なもの、変化するものをもそのまま表し、すべてを包み込んでいる状態で
ありのままを表す大きくて深い意味を探ることができます。
そしてその中で、自分なりの「真(ま)」の尺度、ものさしを持つことの大切さをことだまは教えてくれています。
日本語の再発見、ぜひご一緒にいかがでしょうか?